日本人の父系ハプログループの構成比率と歴史的要因        2012.4.29初稿 / 2021.2.11改訂
                                     chojae

1.はじめに
日本人の父系に関するY染色体ハプログループの包括的な研究としては、2005年にアメリカ・アリゾナ大学のマイケル・ハマー(Michael Hammer)博士がそのハプログループの構成比率を発表した論文注1)や、2007年に東京歯科大学・水口清教授(Minaguchi Kiyoshi)が発表した論文注2)が代表的なものである注3)

水口による分子生物学の研究は、2005年のハマーの研究をもとに展開したもので、Y染色体のSNP(一塩基多型)をより詳しく解析し、サンプル数に関してもハマーが259件であったのに対し大幅に増加した。水口の扱ったサンプル数は729件であるため、日本人の父系系統の地域別頻度をより実際に近い形で反映したものになったと考えられてきた。しかし、ハマー論文と比較すると、水口の研究ではD系統のサンプル数が増加したことにより、日本人のハプログループの構成比率について、ハマー論文と多くの相違が生じていることも確かである。

私はこの二つの資料を比較検討した結果、ハマー、水口清の研究はどちらもサンプル数とサンプル提供者の出身地に偏りがあり、日本の人口動態に対して正確に反映していないのではないかという疑念を持つに至った。そのため、ハマー、水口の研究とは別に日本各地から得られたY-STR(縦列反復配列)のデータをもとに、新たにY-SNP(一塩基多型)系統を推計した。これにより、サンプル数においても偏重のない日本人男性の父系ハプログループ構成比率と分布領域を算出し、さらになぜそのような構成比率となったのかについての歴史的要因を考察した注4)

2.データについて
Y-STR(縦列反復配列)をもとに、Y-SNP(一塩基多型)を推計することは、すでに水口清らの研究でも行われているものであり、Y-SNPの解析を基に判定されたハプログループとは信頼性や正確性においては及ばないものであるが、現在も着実に更新されているY-SNP Haplogroup Phylogenetic Treeとの比較により、Y-STRからの推計資料を活用すればその信頼性を高めることが可能である。日本人のY-SNPの細分岐(subclade)を詳細に扱った資料が不足している現時点においては、Y-STR(縦列反復配列)のデータを援用することによって、サンプル内の遺伝的距離や、最も近い共通祖先(most recent common ancestor, MRCA)を導き出すことができるという利点もある。私が扱った図表および論拠となるY-STRデータの出典は以下の(yayul.egloos.com)を参照したもので、総サンプル数は1,734件である。

 1)www.yhrd.org上に収集された日本各地のY-STRデータ
 2)Kumagai 2007 “Haplotype analysis of 17 Y-STR loci in a Japanese population”
 3)Mizuno 2008 “16 Y chromosomal STR haplotypes in Japanese”
 4)Kim Wook 2010 “High frequencies of Y-chromosome haplogroup O2b-SRY465 lineages in Korea”における日本人Y-STRデータ



まず比較のために、既存のハマー、水口清らの研究による日本人男性のハプログループの頻度と分布を見ていきたい。




Minaguchi 2007 “Chromosomal Binary Haplogroups in Japanese Population and their relationship to 16 Y-STR polymorphism”

上はHammer 2005による資料で、下は水口清2007の資料に基づく。すでに過去5年間、Y SNP haplogroup Phylogenetic treeでは新たに発見されたD-M55、O-M268、O-M122の下階層のSNPにより分岐系統(Haplogroup)に大規模な更新がなされた。しかし、日本人に関するY染色体情報については新しい包括的なデータが不足しているため、それらに関する更新は残念ながら低調である。

私の作成した資料はY Haplogroup treeの公認と更新を管理するwww.isogg.orgのVer.15.73(2020年7月11日版)に基づく表記で、ハプログループとともに、各系統の分岐指標となるマーカーも付記した。(例えば、ハプログループO2a2b1a1はO-M117のSNPを分岐指標とする系統である注5))。
上述のサイトにおいて、これらの分岐系統(Haplogroup)を確認し、ヴァージョンの異なる表記の他の資料と混同の起きないよう配慮した。本論文においては今後も更新されるであろうハプログループによる表記を避け、主たる内容はY-STRの数値から導き出されたSNPマーカー(分岐指標)によって記載した。

3.日本人の父系ハプログループ構成比率の特異性と稀少ハプログループ
日本人の父系ハプログループ頻度の全容をみて特記すべきことは、大陸では遥か昔に滅びた古代の分岐系統であるD-M55のSNPを有する人々が世界一集まった領域が日本列島であるという事実である。また他の東アジア集団では低頻度であっても必ず検出されるR1a-L62、R1b-M343、G、J、L、Hなどの西ユーラシア系特有のハプログループは、1734人分もの大量の日本人サンプルからでさえ1例も検出されなかったことである。



日本人集団の父系のハプログループ構成の特異性は、大陸にくらべて古代的であり、太古の時代にあった単一民族に近い形態を、今なおその中核に残している点にある。これは日本が東アジアの島嶼にあって、それが天然の要塞と化し外敵の侵入を防ぐことができたため、古くからある父系のハプログループD系統が滅びることなく温存されたことによるものであろう。

逆に日本人の中で頻度の少ない系統としては、わずか8例のみが検出されたQ系統があげられる。Q系統はこの8例のうち7例が青森、岩手の東北地方から検出されたが、残りの1例は奈良県から検出されたものである。Q系統はユーラシア大陸のほぼ全域とアメリカ大陸のネイティブから検出されるタイプで、日本人から検出された8例のうち6例は、中国大陸、韓半島に広く分布するQ1a1a-M120であることが分かったが、残りの2例はそのルーツを確定することができなかった。おそらくシベリアのテュルク系民族やネイティブ・アメリカンから検出されるQ1b-M346に属する可能性が高い。そのため、日本人のQ系統は分布範囲から類推すると、韓半島から九州を経由し、南ルートから流入したとみるよりは、シベリアから沿海州を通り北方ルートによって日本列島に到達した可能性が高いといえる。

4.父系ハプログループの地域別頻度
日本人男性のY染色体ハプログループの地域別頻度を表示するにあたり、その領域区分は水口清の資料とは異なり、日本で伝統的に首都が置かれた区域からの距離関係を明らかにするため、Kamatani 2010の研究に用いられた上の地図を使用し、日本全土を別図のように、10の地域に分けた注6)



また次の棒グラフで示す通り、ほとんどの都道府県のデータが得られたが、一部サンプル数の少ない地域が存在する。この図で10の地域による父系ハプログループの構成比率を表示したが、同じ地域内でもハプログループ分布については、大きな差異が生じている箇所もある。例えば、同じ九州であっても福岡と長崎ではD-M55の割合が、福岡は27.3%、長崎は43.9%である。これらを平均すれば36.3%となるが、県別にみると差が大きい。特に長崎での頻度は、日本の23地域のデータの中で最も高い比率であった。

5.先入観の危険性
今回のデータで判明したことは、従来はD-M55の頻度は日本の南方地域である沖縄や九州で高く、本州の中間地帯である近畿、東海地域で低くなり、関東、東北で再び高頻度となり、アイヌ人を含む北海道で一番高くなるのではないかと漠然と考えられてきた。ところが、そのような先入観を取りはらい、実際に検出されたデータをみると、北海道から得られたサンプルは、D-M55の割合が他の地域に比べてかなり低く、逆にO-F2868(M176, X 47z)の割合が最も高い比率であるという結果となった注7)



さらに、O-M176とO-M122系の比率が高いと予想されていた中国地方では、6例のみのサンプルではあるが、D-M55の頻度が岡山36.8%、山口33.3%と比較的高い割合であることが分かった。広島ではO-M176とO-M122の2例のみであるため、広島でさらに多くのサンプルが採取できれば、結果が変わる可能性もある。

四国ではO-M176が高頻度で検出されたため、四国は中国地方よりも、大陸や朝鮮半島の影響が大きかったとも考えられる。もっとも、中国地方と九州でD-M55が多く検出された理由は、歴史時代以降の人口流動に起因する可能性も考えられる。近畿と隣接する北陸地方ではO-M122の割合が高頻度で検出された。これは東海(日本海)沿岸に面した地域の特性として、韓半島(朝鮮半島)や中国大陸に由来する渡来系の影響が広がっていたことがうかがえる。今回のサンプル集団の中で最も渡来系の影響があったと考えられる地域は、O-M122が28%の頻度で検出された和歌山県であった。

以前に沖縄の南部地域から70%を超える高頻度でO-47zが検出されたことがあった。この比率は世界的にも類を見ない高頻度であったため、O-47zは韓半島経由で日本列島に流入したのではなく、海洋を通じ沖縄を経由する南方ルートで日本列島に到達したのではないかとの仮説も提唱されたが、このサンプルは沖縄南方の島嶼地域で採取されたもので、それらの島々には19世紀後半まではほとんど無人地域であり、漁業のために本島から移住し、島を開拓した人々の子孫から得られたものであった。したがって、これらの島々でO-47zが高頻度で検出されたのは、集団遺伝学で言われる創始者効果(Founder effect)が適用される事例であり、O-47zの歴史的起源とは関連が薄いと考えられる。沖縄地方における父系ハプログループの起源とO-47z系統および周辺民族との関係については、また別稿にて詳述したい。

6.O-M122系統とその起源
従来、主として中国上海・復旦大学の金力、李輝ら研究者によって唱えられた説によれば、アジア人を古モンゴロイド、新モンゴロイドという二つに大別し、ハプログループC系統、D系統を一括して古モンゴロイドとし、ハプログループN系統、O系統を新モンゴロイドとして分類した上で、アジア大陸に先に到達し、土着していたC系統、D系統を、後に到着した新モンゴロイドがアジアの中央から辺境に追い出したとする仮説である。さらにO-M122の下位階層のハプログループ拡散を、漢民族文化の普及と結びつける学説を主張したが、この説は現在中国国内でも多くの批判に直面しているとのことである。始皇帝や漢武帝の軍事的征服の経過は、後の韃靼、蒙古の遊牧民族らによる軍事侵攻と、広範な人口流動による父系集団の変化とは単純には比較できない。むしろ周辺諸民族の中で既に人口拡大に有利な水田農耕などが行われ、韓半島における国家誕生以前に人口流入に広範な影響を与えていたと考えられるため、漢民族文化の伝播は人口集団の頻度の変化をある程度は引き起こしたであろうが、主たるものではなかったとみるべきであろう。

東アジアの広範囲に最も多く広範囲に分布するO-M122で、その下位階層から分岐した系統はJST002611、M134、M117の3種類に大別できる。その中で、韓日で多数派の枝はJST002611とM117に属するものである。この2つがO-M122の他のハプログループより比較的新しい時代に分岐しているため、様々な先進的な技術を習得した後の時代のクラスターであると考えられる。日本でみられるM117は、歴史時代に韓半島からの流入と思われるタイプが存在している。ハマー論文においては、わずか6つのY-SNPを分岐指標として測定する方式を用いたため、日本人の主要な父系ハプログループであるD-M55やO-M176について、分岐系統の詳細な考察がなされていない。一方、水口清の資料では、D-M55について初めて細分化がされ、O-M122についてもある程度まとまった分類がされた。O-M122に関して特記すべきことは、韓日にみられるLINE1の系統はO-M122の下流に位置していたということである。

これは韓国・檀国大学キム・ウク教授らの研究により明らかとなった。この結果によりLINE1は韓国人、日本人ともに父系の共通祖を包含する枝となり得る注8)。このLINE1を含むO-M122系統は、サンプル数としては、北海道の旭川や東北、関東地域に圧倒的に多く検出された注9)。そのためO-M122の下流系統に関し、水口清をはじめとする研究のデータでLINE1に属すると判定されたものは、ほとんどがO-IMS-JST002611系統の中にあるものであると考えられる。これは2011年に延世大学で行われたプレゼンテーションにおいて、韓国人集団についてLINE1ではなく、O-IMS-JST002611を分岐指標として測定した結果、韓国人男性の約9%から検出されたとする資料による注10)。 従来一部の研究者の間では、O-M134やO-M117の分布は、東アジアにおける漢民族の流入による影響として説明されてきた。しかし、その分布や拡散年代から類推すると、この2つのO-M122のサブハプログループが漢民族に固有のものではないと考えられる。

現在もO-IMS-JST002611の分布を秦始皇帝による漢民族の勢力拡大による影響として説明する研究者もおられるが、O-M122の下位階層に位置する分岐のクラスターをどのように年代計算しても、決して秦始皇帝の時代には一致しない。

O-M122の下位階層であるO-IMS-JST002611は、概ね中国淮河流域から海岸線に沿って高頻度で分布している。これらの韓半島や日本列島で検出される系統が10,000年以内に発生したことであるならば、山東省の大?口文化の主役やその継承者である東夷や淮夷、徐夷と呼ばれていた者たちと関わる可能性が高い。これらは概ね中国西北部に始まり発展した仰韶文化を起源とする華夏系統とは異なる文化的特徴を持ち、南方由来の文化と北方由来の文化が交わる接点に位置した。そのためO-F265系統は、浙江省地域の河母度文化などから中国南部地域で早い時期の水田による稲作を開始し、紅山文化など北方地域の先進要素を取り入れ、新石器時代からすでに東アジアの様々な地域に拡散していった可能性が考えられる。O-M122の下位階層のハプログループであり韓国と日本で一定の割合で検出されるO-P201*は、2011年アンダーヒル(Underhill)が発表した論文によると、従来O-P201に分類されていた東南アジアとポリネシア諸島などに分布するP201に、P164の分岐指標を加えて測定した結果、ほとんどがP164に属することが明らかとなった注11)。また、中国から得られた様々なデータにおいても、中国南部地域のP201に属するサンプルは、ほとんどがO-P164やO-M188に属することが明らかとなった。

韓国と日本において検出されるO-P201はP164やM188の変異を示すSNPを持たない。そのため、O-P201であってもSTRの数値は韓日のみが近似した値を示している。これは、まだ発見されていない未知のSNP下に属している可能性が高い。他にも満州族など南ツングース系の民族や北方漢民族でもわずかながら存在するため、韓日のこの系統は、古くみつもれば旧石器時代か新石器時代の初期に、あるいは遅くとも歴史時代に差し掛かる頃か、可能性として高いのは、その中頃の新石器時代から青銅器初期に至る頃に、他のハプログループO系統が行った農業技術の発展に伴う広範な民族拡大の勢いに圧され、O-M122系統の主流の枝とは分離し、独自に極東地域に進出した集団であったと考えられる。

Y-STRからY SNPを推計した日本人の父系のデータと、複数の東アジアの国々の父系のデータと比較すると、全人口に対する分布状況を包括的に把握することが可能である。その結果判明したことは、他の東アジアの集団はO系統のハプログループを最多とする割合であるのに対し、日本民族の集団は分布割合が全く異なるという点である。Y-STRの値によって推算された、各々のY-SNPの特徴を的確に示す集団としては、C-M8系統、C-M217系統、D-M55系統、O-M176系統、O-M122系統が日本全国にまんべんなく分布しており、Y-STRからの推算によってこれらを各ハプログループの集団に大別することが可能である。ただし、D-M55の下流に属するD-M116.1、D-M125、D-IMS-JST022457などは、このデータが提示する17個のY-STRデータのみでは正確に細分化することは困難である。また他の東アジアの国々についても、そこから得られたY-STRのデータのみを基にO-M324以下の系統を正確に細分化することは難しい。現状よりも多くのY-STRの測定が行われるか、より詳しいY-SNPのサブクレードに関する研究によって、それらは将来解決されるであろう。

7.日本列島で繁栄した縄文系のD-M55系統
ハマー論文では、D-M55の頻度が日本男性全体の父系の34%とするが、水口清の資料では旭川で63.6%、関東で48.1%の割合を示した。沖縄においても40%を超えている。しかし、私が推算したところによると、日本全体の47都道府県中、23県が含まれたデータではD-M55系統が40%以上検出された場所は、岩手40.5%、三重40.9%、長崎43.9%の3県のみで、それぞれ40%近い割合を示したが、1734サンプル全体からの割合では33%となり、O-M176とO-47zを合わせたO-M176系統が30.7%となるため、D系統の優勢の枝(major branch)をO系統が追い掛けるような頻度となった。

私が推算したデータでは岩手を含む東北と関東が日本全体の人口比例からみて、もう少し多くD-M55が含まれていると仮定したとしても、日本男性全体の平均の母集団はD-M55系統とO-M176系統が拮抗して3割ずつを占め、残りの2割が渡来系を示すO-M122、その他の2割がC系統注12)とN系統などとなった。これらの割合はハマー論文の数値とも大きく矛盾しない結果である。日本では、漢民族に由来するO-M122系統は、日本列島を基点とするクラスターを発現しておらず、日本列島に渡来した有力人物を起源とする同祖族とみなすことはできない。O-M122には創始者効果(Founder effect)として候補にあがる枝は存在せず、渡来の時期も系統も異なる雑多な枝を集計した割合が2割であるため、D-M55やO-M176などの示す同祖族から分岐によって形成された主力の枝を持つ系統とは根本的に異なる分布となる。

日本人のD-M55系統の中でD-JST0022457のSNPを持つものが突出して多く、日本人の主流の枝(major branch)を形成している。そのため後述するように、D-JST0022457のSNPの発生と日本列島での拡散は、旧石器時代や新石器時代の発生した出来事ではなく、古墳時代以降に起きた社会的選択(Social selection)の結果であると見なければならないだろう。これは、弥生系のO-M176系統の人々や、大陸からの技術を持つ渡来系のO-M122系統の人々と共生する社会の中で、日本固有のD-M55系統に属する人々が夥しい数の子孫を残して遺伝子の繁栄の優位に立ち、日本列島の隅々まで拡散したことを示している。D-JST0022457の変異を持つグループは、当時の日本社会の支配者層として長きにわたって君臨し、最も繁栄した枝を日本列島に残したのであろう。

8.縄文系のC-M8系統と渡来系のC-M130系統
今回、私が新しく作った資料の中で特徴的な点は、C系統が従来のデータより高頻度で検出されたことである。縄文系を示すC-M8系統は、特に沖縄地域で14%に達する高い割合で検出され、九州地域と他の様々な地域でも同等の割合で検出された。また歴史時代になって以降の渡来系と考えられるC-M217系統は、従来のデータと同様に沖縄地域では検出されなかったが、他の地域では5〜10%に及ぶ割合で検出された。

これによって考えられるのは、C-M8は現時点では沖縄や九州に至る、日本列島到達までの移動経路が明確にされていないものの、C-M130以下の系統であるC-M38、C-M347、C-M356、C-V60系統はいずれもインド、東南アジア、ポリネシア、ニューギニア、オーストラリアなどで広範囲に検出されることから、C-M8はインド地域から海岸線に沿って、沖縄、九州などを通り日本南部から日本列島に到達したグループであることは確実であろう。

またこのC-M8系統は、おそらくD-M55系統が日本列島に到達する以前の旧石器時代に、無人の日本列島に最初に到達した人々であり、港川人など沖縄地域から出土した古代人骨もC-M8系統に属した可能性が高い。C-M8以降に日本列島に到達したD-M55系統は、C-M8系統と共に日本南部地域の旧石器時代を経て、縄文土器をはじめとする縄文文化をになったと考えられる。さらに同じ縄文系でありながら現在のD-M55系統の隆盛とC-M8系統の衰微を比較した場合、縄文時代において既にD-M55系統が社会的優位に立っていたであろうことを示唆している。

C-M217は、STRから推算したデータから考察すると、インドシナ半島や南中国ルートを通じて古代に流入したグループ注13)と中国北東部、韓半島南部を経て歴史時代以降に進入した2つの系統が混在する可能性がある。C-M217*(x P39, M48, M407, P53.1)は、star clusterで分岐系統が未整理の枝である。

これは北東アジアに多く検出されるハプロタイプと東南アジア、中国大陸南部に多く検出されるハプロタイプの分岐指標が確定されていないためで、この問題はSNPの細分岐(subclade)が解析されれば、解消されるであろう。一つ注目すべきことは、上の図表でC-M130に属する事例として表示されたサンプルである。このサンプルは岡山県から検出されたものであるが、研究者を混乱させた特異なハプロタイプであった。当初C系統に属するものと考えらたが、F2や他のハプログループに属する可能性もあるもので、Y-SNP測定がなされなければ正確な判定はできない。

9.日本人の主流の枝でを示す2つのモーダル
日本人のY-SNP構成と分類についての考察とは別に、今回大量のY-STRデータをまとめながら発見した2つの重要なY-STRモーダルハプロタイプについて述べたい。
先に述べた通り1つはY-SNPがD-IMS-JST022457に属する系統で、日本人男性サンプルではD系統35%のうち約20%がこの系統に属し、もう1つはO-47zに属するハプロタイプで、全日本人男性サンプルのうち約25%がこれに属しうち約9%が同種のモーダルタイプに該当する。

この2つは日本列島において歴史時代に発生した固有の人物をクラスターとして繁栄した枝で、下はこの2つのY-STRハプロタイプの日本各地域の分布とY-STR値を示した図である。次の図で私はD-IMS-JST022457に属するモーダルを仮にTenno modalと命名し、O-47zに属するハプロタイプをFujiwara modalと命名した。最もこの2つのモーダルは、日本の歴代天皇の陵墓や藤原家の墓所を考古学的調査によって発掘し解析したものや、その男系子孫から得られたサンプルを直接解析した結果が含まれているものではない。

しかし、私はこの2つのモーダルタイプの日本国内拡散は、遅くとも古墳時代以降、日本列島における軍事的活動と政治的影響力の結果、社会的身分が確立されたことに起因する人口流動と密接に関連し、現在の日本人のハプログループ構成比率に対しても多大な影響を及ぼしているといって過言ではない。したがってD-IMS-JST022457に属するY-STRモーダルは古墳時代以降、支配領域を日本全土に拡大し、歴史時代になってもなお君臨し続けた人々に収斂されるのであろう。そのため、私は先述のように命名したのである注14)。地図の下に示したY-STRモーダルタイプの表で、黒の数値は完全に同一のものであり、黄色の字はモーダルタイプより+1、+2もしくは-1、-2の数値の幅があることを示している。





日本では第二次世界大戦以後、江上波夫らに代表される歴史学者は、戦前の皇国史観へ反動する心理が働き、天皇が中国北方の騎馬民族系渡来氏族ではないかとする自論を提起した。わが国の歴史学者もそれに同調して様々な仮説が出された。日本の分子生物学者の中では中堀豊もその一人で、これらの思想に影響を受け、江上らの説に追従する意見を提起したことがあった。しかし、中国北方の騎馬民族にみられるN系統は、日本人男性のハプログループの中で、メジャーブランチとは程遠い頻度であり、これら渡来系を出自とする仮説は、のちに多数の学術的根拠に基づく反証により否定され、今となってはこれを真正面から支持する学者はいない。

そもそも天皇とその末裔の源、平、橘などに代表される名門氏族は、一夫多妻の社会の中で子孫らの遺伝子を拡大させることにおいて、一般人に比べて遙かに優位に立つことができた。それらが中国からの渡来系であり、またN系統ではないのであれば、当然O-M122系統の中にその枝の候補が存在することになる。しかし、日本人男性のハプログループを詳細に分析してもO-IMS-JST002611は6.2%、O-M117が5.2%程度しかなく、またそれらは複数の下位ハプログループに分散した中にある。さらにY-STRの傾向を見れば、何らかの有力な人物を発生源とするクラスターによって日本全土に拡散した枝ではなく、分岐の時期も異なる系統の集合であることが明らかであり、これらの出自を渡来系氏族に求める説は、分子生物学の立場からも支持することはできない。

一方、Tenno modalと名付けたD-IMS-JST022457に属するY-STRモーダルタイプは、おそらく私がここで初めて提案するのではないかと思う。Tenno modalに属するY-STRは1718人分のサンプルのうち、日本全国から得られた32例のサンプルが17個のY-STR の数値が完全に一致し、残りの40個のサンプルも比較的変異率が高いDYS439、DYS456、DYS458、DYS389II、DYS385bなどで+1,-1程度の差がみられるだけで、基本的に同じモーダルタイプに属することが明らかとなった。これは、古墳時代以前から連綿と続き日本列島を長きにわたって統治し、源氏、平家、橘氏、紀氏、蘇我氏など多くの政治権力を有する氏族を生みだしてきた枝に相応しい。これらは根源が全て日本の天皇に由来する氏族である。

通常17個の数値が一致すれば、700〜800年以内にほぼ90%以上父系の共通の祖先がいると判断されるため、このD-IMS-JST022457 のTenno Y-STRモーダルハプロタイプに属する人物が少なくとも約700〜800年前には影響力を拡大し夥しい子孫を残し、日本全域に拡散したことを示唆している。この700〜800年に存在したD-IMS-JST022457のモーダルタイプの祖となる人物が平凡な農夫であったり、一介の下級武士であったならば、これほど多くの子孫を生み出し、日本全国にくまなくその子孫を拡散し、現在の日本男性の中にまで主力の枝を残すほどの影響力を与えることは出来ないであろう。それが可能であるのは天皇であり、また天皇から臣籍降下した子孫が源氏や平家の武士団を形成し、幕府を開くことで権力を保持し、政権の中枢を掌握して全国に波及した結果であろうことを示唆している。

Tenno modalをKlysovが提案した方法によって共通祖の年代を計算すると、約600年前くらい前にいたであろう人物が導きだされる。Y-STRの変異率に基づいた紀年計算は、現時点では多方面からコンセンサスの得られた算出ではないため、今後、分子生物学の発展とともに年代が修正される可能性がある。また私がTenno modalと定義した数値より古い年代から分岐したであろうSNPも、複数みつかっているため、正確にどの時代の誰であるかを特定するのは難しい。今から約600年前といえば室町時代頃になるが、これでは、共通祖としては接近しすぎているため、実際にはその祖先である清和源氏に属する人々が各地方で実権を握り、政治的影響力を行使したか、また鎌倉時代に執権として政権運営を行った北條氏に代表される平氏の末裔なども総て天皇家に由来するD-IMS-JST022457であるため、これらの中で顕著な人物とその子孫らが、一夫多妻の社会制度のもとに日本全国に拡散し、多くの子孫を残すことで、現在に至るまで繁栄する枝が築かれたのであろう。このように古代に派生したD-M55系統が弥生系のO-47zと融和し、後に渡来したO-M122に滅ぼされることなく、日本の主力の枝として継続して繁栄し続けたことは先進国に類例がなく、驚嘆に値する。

10.D-M55に次ぐ繁栄の枝を残した弥生系のO-47z系統
日本ではO-M176の下流のうちO-47zの変異を示す系統が日本全土に広く拡散しているだけでなく、Klysovが提案した方法によって、全体のハプロタイプの構成員たちの紀元年代を推定しても、およそ74 世代、1862年前で巨大古墳が築造され始め、日本全体の新しい政治体制が他の集団を圧倒する古墳時代以降とほぼ一致する。これは、Tenno modalと名付けたD-IMS-JST022457に属する系統ほどではないにせよ、それに次ぐ大臣クラスの繁栄を示した枝である。藤原氏は、源平藤橘の名門氏族のうち、天皇と父系を異にする唯一の氏族でありながら、摂関政治を行い日本の政治中枢に長期にわたって権力を保持し続けた。そのためこのSTR群を藤原氏になぞらえ、Fujiwara modalと定義し、その実像を明らかにするものである。



この系統はKlysovが提案した方法によって、全体のハプロタイプの年代を推算した場合、約1862年前(約74 世代)で巨大古墳が築造され始め、日本全体の新しい政治体制が他の集団を圧倒することになる古墳時代の紀元3世紀頃とほぼ一致する。一方で韓国で一定数検出されるO-F2868(M176, X 47z)の系統は、日本では他のハプロタイプを圧倒するほどの勢いはない。
先の図はTenno modal とFujiwara modalが日本各地域に現れた頻度(%)を経度と緯度を基準に再配列した数値を示したBW plot(Box and Whisker plot)である。前頁上のグラフは、D-IMS-JST022457 Tenno modalが緯度の変化によって、どのような頻度を示すかを示すもので、このmodal typeは緯度が中間程度に位置する地域で高い頻度を示す。その右のグラフが示すように、関東地方がその拡散の中心であったと考えられる。また前頁下のグラフはO-47z Fujiwara modalについてで、概ね緯度の低い地域で高い頻度を示すことがわかる。その右のグラフが示すように、概ね西側に位置する地域で高い頻度を示すことがわかる。これは、O-47zの弥生系集団が列島に到達した後、かなりの時間をかけて全国的に拡散したことを意味する。

11.日本とチベットの共通点
日本とチベットは東アジアで共通してハプログループD系統とO系統が主流の枝として共存する地域であり、両地域にはいくつもの共通点がある。

 1. 日本は島嶼によって、チベットは山岳地帯の高度に位置し、東アジアの他の地域とは地理的環境によってで隔離されていた。
 2.日本およびチベットのハプログループD系統は、隔離された環境に先に流入し、長期間にわたって他の父系のハプログループの集団と共栄して種を温存した。
 3.新石器時代後期ごろに、チベットではO-M122から分岐したO-M117系統が新しい文明技術を持って流入した。また日本ではO-M176から分岐したO-47zが稲作技術を伝播し、後にO-M122が青銅器、騎馬軍事技術などを持って流入したと考えられる。

このように日本とチベットは類似した状況下において、チベットではD-M15とD-P99、日本では少数のD-M15と多数のD-M55が後に流入したO系統と平和裏に融合し、一つの民族として共通のアイデンティティを持つに至った。日本の場合、地域によっては、40〜50%の頻度という多数派の枝を構築した。また特にD-M55から分岐したD-IMS-JST022457系統が歴史時代になっても繁栄を続け、Tenno modalの拡散からもわかるように、九州、沖縄に至るまで、D-M55系統が主流(major branch)としてその種を温存することに成功した。これは、環境の相同性によってもたらされた結果なのか、それともハプログループD系統にこのような環境的圧力を克服し、成功に導く遺伝的要因があったのかは分からない。しかし、D-M55が圧倒的優位性を発揮して、O系統を支配するようになった要因などの歴史的背景については、今後大いに研究されるべきテーマとなるであろう。

12.総論
私は本論において、日本の天皇と摂関政治に代表される二重権力の体制が日本列島のY染色体の拡散にいかなる影響を及ぼしたのかについて適切な答えを与えたと信じている。つまり、D-IMS-JST022457とO-47zの分岐指標を持つ2つのハプログループにおける男系遺伝子の繁栄は、天皇を中心とする皇胤氏族と、それとは異なる出自を有する藤原氏の二元的権力体制が、日本人の支配者層として長期にわたって君臨することによって構築されたことを示唆している。恐らく、有史以前から日本人の価値観の中に根づいた日本神話とそれを敬慕する意識が、古代の日本社会の中で継承された結果として、このような、日本独自の均衡点に到達し、世界でも類例のない古代の父系系統が維持されたと見るべきであろう。

しかし、このような日本民族の歴史の核心にせまる論旨に対し、現代韓国の分子生物学者、考古学者、歴史学者が容易に同意をしてくださるかは分からない。また日本においてはナーバスな問題を包含するため、これらを分子生物学の研究対象とすることへの反発が予想される。かくして、このような形での執筆を余儀なくされたのである。韓国の同胞、ならびに日本の盟友よ、私は時を経て知識ある方々の中で、各々が持つ自論を脇におき、政治思想や歴史学的バイアスに惑わされず、中立的立場で建設的な意見交換がなされたとき、本論における結論が有効なものであると判断していただけるのではないかと信じている。



注1)Michael Hammer 2005 “Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes”
注2)Minaguchi Kiyoshi 2007 “Y Chromosomal Binary Haplogroups in Japanese Population and their relationship to 16 Y-STR polymorphism”
注3)マイケル・ハマー博士の研究は、韓国・檀国大学キム・ウク教授(Kim Wook)らと共同研究を行ったものである。
注4)Y染色体の非組換え領域にある配列の反復数の差異を調べるのがSTR解析で、これに加えて一塩基多型(変異のタイプ)の共有非共有を調べるのがSNP解析である。STRは遺伝子の塩基対を構成するアデニン・チミン・グアニン・シトシンの2〜4塩基対の組み合わせの繰り返し構造で個体識別ができる。世代を経るごとに特定の遺伝子座によって0.1〜0.8%の確率で繰り返し数が±1増減するのでこれをもとに共通祖先から何世代経たか推定することが可能である。SNPとは特定の遺伝子座における単変異を起こした塩基対のこと。偽陽性・偽陰性があるため完璧ではないが塩基対数万ヵ所の差異から比較するため極めて正確に分岐の順序を追跡可能である。
注5)原文ISOGG 2012年1月版では、O-M117は「O3a2c1a」となる。
注6)北陸と四国は別々に分離したが、甲信越は別に分けない。
注7)最もこの現在の北海道のデータは、明治時代以降に日本政府による開拓政策によって、新たに異なる地域から北海道に移住した人々の子孫が多いからかもしれない。
注8)Hammer 2008 “New binary polymorphisms reshape and increase resolution of the human Y chromosomal haplogroup tree”を参照。鳥の翼とコウモリの羽根のように、起源の異なるものが偶然に類似した変異を起こすことも有り得る。それらを考慮し偶然の類似と思われるものは除外した。
注9)サンプル数の不足、不均衡に起因するものかは不明であるが、実際のデータでは北海道はD-M55の頻度は少ないため、北海道の頻度が高いかのように例示する模式図は信頼性が低い。
注10)従来のLINE 1を分岐指標として測定した資料では、約10%近く検出されている。
注11)Underhill et al.2011 “Increased Y-chromosome resolution of haplogroup O suggests genetic ties between 2 the Ami aborigines from Taiwan and the Polynesian Islands of Samoa and Tonga”
注12)C系統には縄文系のC-M8と歴史時代の渡来系であるC-M217が含まれる。
注13)日本人のみから検出されたC-M93と推定されるが、これを裏付けるY-STRデータがないので、現状では未分類の枝。
注14)2012年発表の初稿で結論の誤っていた箇所、認識不足であった箇所は、適宜訂正を加えた。


本論文は2012年4月29 日chojaeによって執筆され、韓日研究者の査読を経て修正されたものです。引用されるときは、右記の出典を明記してください。(http://yayul.egloos.com/2925320



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