日本の天皇のY染色体ハプログループ        2010.10.8初稿 / 2023.10.18改訂
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1.はじめに
これまで、世界の歴史学者、考古学者をはじめとする多くの研究者たちが、日本民族の起源と皇室の関係を考察し、彼ら自身の祖先が残した古い時代のテキストである『日本書紀(Nihonshoki)』、『古事記(Kojiki)』と中国古代の文献から得られた記述の相違に困惑しそのミッシングリンク(Missing link)の解明に取り組んできた。残された巨大な古墳、それは世界最大規模である。また膨大な出土物は多数の仮説を生みだし、歴史の謎をさらなる深みのある沼へ導き、研究者らを悩ませた。けれども、古代人骨からDNAを解析する試みは、日本列島においては多くが未だ手つかずのままである。そのため日本民族の起源に関して、また彼らの使用する日本語の起源に関しても確実な結論に到着していない。

私は男系男子によって継承されるY染色体の非組換え領域における一塩基多型(SNPs)の差異に注目し、これを探ることによって、この謎に満ちた民族の起源の解明にいたる端緒としたい。日本民族は幾多の書にも記される通り、その君主たる天皇を頂点とし、これを推戴し歴史を歩んできた民族である。その淵源は彼らの有する日本神話に帰結し、ゆえに日本の皇室は世界で最も古い世襲君主として今なお存続している。天皇は太古の昔から日本列島を統治し現生神(Arahitogami)として君臨し続けてきた。そのため、男系男子で継承される皇統に対し、神道の研究者たちばかりではなく、我々分子生物学者や遺伝人類学者らも大いに関心を寄せるところである。本論では、この分野のさらなる研究を奨励し、まず日本の皇室の男系血統を明らかにする試みである。

2.研究対象
本論では、男系系統の解析を主軸とするため、日本人のY染色体ハプログループをその研究の対象とした。Y-STRsの突然変異率は、Y染色体SNPsハプロタイプの突然変異率の100,000倍にあたるため、Y-STRsによって推算する可能な祖先の系統を1000年以内の範囲に限定し、それ以前の時代に関してはSNPsの変異によって求めることにした。なおハプログループの表記はISOGG ver.15.73に準拠した注1)

3.日本列島への到達の時期
日本列島へ人類の到達時期をY染色体ハプログループによって分類すると、以下にあげる4つの時期があったのではないかと想定される。

 第1期.C-M8 (C1a1) 旧石器時代
 第2期.D-M55 (D1a2a) 旧石器時代(日本固有種)
 第3期.O-47z (O1b2a1a1), O-F2868 (O1b2a1a2) 縄文時代後期〜弥生時代初期
 第4期.O-M122 (O2), C-M217 (C2) 弥生時代〜歴史時代以降

C-M8の日本到達とD-M55の到達時期に関しては、どちらが先かは結論が出ていないが、おそらくC-M8が最初であったと考えられる注2)。しかし、C-M8の集団は小数でD-M55の集団はそれより規模の大きいものであったか、なんらかの要因によってD-M55の集団がC-M8の集団を凌駕し優勢となったとみるべきであろう。

両者は共生し縄文文化を築いたと考えられ、D-M55の系統は現在も日本列島の総ての地域において最高頻度で分布している注3)。またD-M55系統はアイヌ民族においても高頻度で検出されている注4)
O-47zとO-F2868は近親系統であるため、同集団で共に行動したのか、O-47zが先に日本列島に到達し、それよりやや遅れてO-F2868がやってきたのか、両方の可能性が考えられる。

4.弥生系の流入はスンダランド(東南アジア)から
O-47zの変異が発生したのは約7,870年前と考えられ、既に縄文人が生活していた日本列島に流入し、縄文人にとけこみ共生しながら弥生文化を築いたと想定される。

O-47zのマーカーを持つ人々の比率は日本が最多であるため、このマーカーの起源は日本であるという説が唱えられたこともある。

しかし、O-47zのマーカーはベトナムやインドネシアからも検出されるため、スンダランドから最終氷河期以降に北上する経路をたどり日本列島へ到達した可能性が高い注5)

5.沖縄のY染色体比率
沖縄はアジア大陸からも日本本土からも離れ、地理的に孤立した地域であるため、日本本土とY染色体比率の頻度が異なる。氷河期は現在よりも海面が100〜120m低かったと思われるため、その頃にアジア大陸や日本本土の九州南部から流入した人々があったと想定される。沖縄ではD-M55系統、O-M122系統が高頻度で分布しており、また沖縄南部ではO-47zが高頻度、O-F2868が中頻度で検出されている。


注:日本は、北部(Asahikawa)、中部(Japan)、南部(Okinawa)の3グループに分類した。


*Han-Jun Jin、Kyoung-Don Kwak、Michael F. Hammer、Yutaka Nakahori、Toshikatsu Shinka、Ju-Won Lee、Feng Jin、Xuming Jia、Chris Tyler-Smith、Wook Kim, "Y-chromosomal DNA haplogroups and their implications for the dual origins of the Koreans," Human Genetics (2003)

6.日本人男性にみられるY染色体ハプログループの分布の概要
日本人のY染色体の頻度に関しては、前掲のデータによれば、概算してO系統が53.4%で最多、D系統が36.4%でそれに次ぎ、C系統が5.7%となる。O・D・C系統だけで95.5%を占め、残りの4.5%がその他の系統となる。しかし、これは恣意的な表現であり、O系統は4つの枝の合算であるため詳細に日本への到達時期と系統を6種に分けると次のようになる。

 1.C-M8 ……日本人男性 3.1% 旧石器時代〜(約35,000〜30,000年前)
 2.D-M55……日本人男性36.4% 旧石器時代〜(約35,000〜30,000年前)
 3.O-47z ……日本人男性23.9% 縄文時代後期〜(約8,000〜3,000年前)
 4.O-F2868…日本人男性 9.1% 弥生時代初期〜(約8,000〜1,500年前)
 5.O-M122 …日本人男性 20.1% 弥生時代中期〜古墳時代以降(AD300年〜)
 6.C-M217 …日本人男性 2.6% 弥生時代中期〜古墳時代以降(AD300年〜)

上記の中で特にD-M55とO-47zは、日本を発生地とするクラスターを有する枝であることに注目してもらいたい。またO-F2868とC-M217は朝鮮半島においても検出されるが、縄文時代初期から後期にかけての縄文人の系統を色濃く残していると考えられる沖縄でもO-F2868は適度に分布しているため、O系統の日本列島へ到達時期とルートは、下記のような想定も可能である。

 1.O-47z とO-F2868は、東南アジアから約20,000〜3,000年前に北上を開始し、沖縄を通るルートを経て日本列島に到達し、その後さらに一部が朝鮮半島へも進出した。
 2.O-F2868とO-M122の集団の一部は、従来の研究において想定されているよりも遙かに古い時代に日本列島に到達した可能性もある注6)

7.チンギスハーンの子孫と社会的選択
社会的コミュニティが構築され、支配者階級が出現する時代になると、その集団のY染色体ハプログループの構成比率と分布範囲に影響を与える社会的選択(Social selection)が起きる。

一例を挙げれば、Y染色体ハプログループのデータを使用して、チンギスハーンの子孫を推算したところ1600万人に及ぶ人口に膨れあがっていることが示唆された。社会的身分の格差によって、妻の数、子供の数、幼児死亡率は変動し、それが何世代も継続することにより、より大きな支配者集団が自身のY染色体を後世に残せる頻度の優位に立つからである。

8.日本におけるY染色体ハプログループの頻度
日本は世界で最も古い継続的な世襲君主国家であり、チンギスハーンの築いたモンゴル帝国がわずか数代で分裂し滅亡したのとは異なる。日本の皇族とその子孫からなる氏族は、モンゴル帝国より遙かに古い時代から日本列島を統治し、外国からの侵略によって滅ぼされることなく現代に続いている。さらに、日本の皇族は男系男子で相続され、近現代に至るまで一夫多妻の婚姻形式を維持してきた。

したがって、日本人のY染色体ハプログループの分布を調査することによって、日本の皇室が属するY染色体ハプログループを類推することが可能であり、またそのデータを精査することによって、いかなるSNPsを保持した系統かを絞りこむことができる。また現代の日本において、天皇から分岐した氏族の子孫は無数に存在し、これらのデータを照合することによって確証を得ることが可能であろう。

9.日本の天皇のY染色体ハプログループ
結論から言えば、日本人のY染色体ハプログループの頻度から、日本の天皇がD-M55に属することは明らかである。以下に候補となるハプログループとその可否の理由を消去法によって論じたい。

日本人男性から検出される主なY染色体ハプログループは、D-M55、O-47z、O-F2868、O-M122の4系統である注7)。まずO-M122に属する系統は日本人男性の20.1%を占める。これだけを聞けば多く感じるが、その分岐系統を詳細にみていくと、中国大陸で検出される型とは異なり、既に縄文時代には分岐していたであろうことを示す、中国では途絶えた古い系統が日本で検出される一方で、中国で現在も一般的にみられる系統も多く検出されるため、O-M122の日本流入は、時期がまちまちであり、古墳時代から歴史時代以降に流入した可能性が高いという結果となった。また、O-M122に属する系統は日本列島を発生源とするクラスターを生みだしておらず、歴史時代以前に分岐した系統を総計した結果が上記の割合でありY染色体の分布に優位性を示していない。そのため、O-M122はいかなる推算をもっても皇室の枝とは考えられない。

次にO-F2868に属する系統はどうか。この系統は日本人男性の9.1%を占め、O-47zと近親の枝である。しかし、O-47zほどの優勢の枝を構築していない。O-F2868とO-47zはある時期までは同時に行動していたと考えられ、おそらく、発生地となるスンダランドから、共に北上し日本列島に到達した系統で、稲作文化の伝播との関連も考えられる。

先に述べた通りO-F2868とO-47zを比較した場合、日本列島においてはO-47zが日本人男性の23.9%を占め優勢の枝を示している。このO-47zは、北は東北の青森、岩手、宮城などでも高頻度で検出され、同一のSNPsを持つ系統が、遠く離れた鹿児島、熊本、沖縄などでもまんべんなく検出されることから、ある時期においてO-47z系統が日本の支配者層であったことを示している。

このO-47zを凌ぐ勢いで膨大な子孫を残し、現在の日本人男性の36.4%の頻度を占めているのがD-M55であり他の追随をゆるさない。さらに詳細にみれば、正確にはM55の下流に位置するD-CTS8093の変異を持つグループが、日本列島を発生源とするクラスターとなっており、膨大な子孫を残している。

Y染色体の変異の痕跡を示す一塩基多型(SNPs)の中で、CTS8093をはじめて発見したのは、分子生物学研究チームのクリス・テイラースミス(Chris Tyler-Smith)で、日本人男性の縦列反復配列(STRs)を照合した結果、この発源は歴史時代の一人の日本人男性に集約されることが示された。よって、このCTS8093の変異をもつ人物こそが日本の天皇であり、同時に日本列島でこのD系統に次ぐ繁栄を見せたO-47zの変異を持つ集団が、D-CTS8093を補佐し、日本統治に関わっていたであろうことを示唆している。

10. 総論
D-CTS8093は、縄文系のY染色体ハプログループDの下流に属している。D系統はチベットやアンダマン諸島を通り、東南アジアからフィリピンなど通り、海上か沿海部を北上するルートで日本列島南部に到達したと考えられる。D-M55のマーカーを持つグループは日本列島で独占的にみられ、アイヌ民族からも高頻度で検出されている。

日本列島で広範囲にD-M55とO-47zのY染色体を持つ人々が分布した理由は、この島嶼地域において支配階級は一夫多妻が一般的であり、その頂点に君臨する支配者は、神話を根拠として古い時代に統治機構を完成させ、男系男子の子孫であることを絶対条件として、代々その地位を継承してきたことを示唆している。

日本の支配層は一族の増加に伴い、一族を上位・中位・下位の階級に分け地方を統治するための官僚として「別(Wake)」を日本列島各地に派遣した。この社会的制度が、日本列島の隅々にいたるまでこれらの遺伝子が拡散することになった要因であろう。

またD系統ほどではないが、O-47zのマーカーを持つグループが、同時期の日本において繁栄の枝を築いていることからO-47zはD-CTS8093と共生し、これに付随する官僚としての地位を得た人物であったのであろう。日本においてC-M217の頻度がかなり低いことは、モンゴル帝国の侵略の影響を受けなかったことを示し、これは、日本がモンゴル帝国の襲来を防いだ歴史的事実とも符合している。

そもそも、日本列島は外敵の侵入を防ぐのに都合の良い環境であった。そのため、歴史的に他民族に支配された経験がない。日本の支配者層が太古の系統に属し、男系男子によって連綿と継承されてきたことは、実に驚きをもって迎えられる事実であろう。このようなことは、世界的に見ても先進国の中では日本以外に類例がない。

あらゆる面で、古代の系統を温存するのに優れた環境が成し遂げたと考えられる。日本の天皇に由来すると結論づけられるD系統の男性は、この系統およびE系統に特徴的にみられるYAPの遺伝子マーカーを持っている。これがいかなる意味を持つのかは、今後の研究の課題となるであろう。


注1)初稿ではYCC 2002年式の表記であったものを、ISOGG ver.15.73式に更新した。
注2)初稿より改訂
注3)北海道、沖縄、アイヌ民族を含む
注4)アイヌ民族では女真、蒙古にみられるC-M217も低頻度で検出されるがC-M8は検出されていない。
注5)スンダランドは、現代の東南アジア島嶼部を含む領域で、古代には大陸と接合した広大な陸地であったと想定されている。
注6)その場合はO-F2868とO-M122の集団も少数ではあるが縄文文化を構築する人々の一部であった可能性もある。
注7)沖縄のベンチマークを利用した分布からは、O-F2868とO-M122の一部が沖縄諸島から高頻度で検出された。


本論文は2010年10月8日Color Redによって執筆され、日米研究者の査読を経て改訂されたものです。2023年、執筆者が文脈を補足訂正し、ハプログループの表記はISOGG ver.15.73に準拠しています。引用されるときは、初稿にあたる下記の出典を明記してください。
http://cjapan.net/en/content/imperial-family-descended-jomonainu-japan



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